長崎の事件について、本当は加害者の擁護になるようでこれまで触れないでおこうと思ってましたが、踏み違っているのではと思いかきます。
この少年のようにまだ年もいかない時期ってちょっとした環境でどのようにでも振れやすくまたこの少年の両親のように離婚による母親の精神的不安は少年を自分のようにかわいがり何があってもかばおうとする心,そこに至るものはある種変形した愛情になっていったのではないかと思います。 だれだって自分のかわいい子供を殺人犯に育てようなんて考えなかったと思います。 母親は離婚を経て身を守るすべを失い自分のように我が子を世間から守ろうとしたなら、 子供の不信な部分も心から消しひたすら守ってあげようと思ったなら、 子供は重要な成長過程において誰も道を正すすべを教えられないような方向へと向かう可能性もあるのではないでしょうか。 母親は世間から我が子を守ろうと我が子への愛情が変化したなら わが身を守ろうとするように我が子をかばったならこれも哀れだと感じました。 今この母親はどんな思いでいるのだろうと思います。 この事件は、いじめによる集団リンチ殺人事件のような非人道的なものとは違うように思う。
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